【歴電】クロニクル 学術活動におけるパソコン通信の効用の一事例

成城大学 千速敏男

情報知識学会では、1995年度よりNIFTY-Serveの「歴史フォーラム(FREKI)」16 番会議室「PRO/情報知識学会」を会員および会員外の皆さんの交流の場としてきました。 1995年9月9日、10日に開催された第5回「歴史研究と電算機利用」ワークショップ(会議室での通称【歴電】)は、この会議室を十二分に活用し、成功をおさめた最初の研究集会だったと思います。そこで、私は当日の一参加者にすぎませんが、学術活動におけるパソコン通信の効用の事例として、NIFTY-Serve 上において、どのように情報交換、意見交換がおこなわれたのかを紹介し、皆さんが今後のますます活用されることを呼びかけたいと思います。

コーディネータのお一人、児島秀樹さんから、今年の「歴史研究と電算機利用」ワークショップ(以下【歴電】)についての基本構想がアップロードされたのは、5月1 4日23時34分。会議室の7番目のメッセージでした。それに対して、わずか3時間後の5 月15日2時43分、〈豊後人〉さん(注)からメッセージが届いています(#8)。まさにパソコン通信の速報性を印象づけるスタートでした。以後、5月下旬にかけて、ネットワーク、ハイパーテキスト、データベースと、【歴電】の基本テーマに関する意見交換がコーディネータの児島さん、神立孝一さん(ハンドル・ネーム〈かんち〉さん)、田良島哲さんを中心に交わされていきます(#9,11,12,13,14,19)。そして、6 月10日、児島さんから【歴電】開催告知の第一報が発表されました(#29)。

その後、8月上旬になると、当日の発表予定者の皆さんの発表予稿が、コーディネータのお三方によって相次いでアップロードされます。おかげで、参加者の皆さんは、古瀬幸広さん(#37)、坂村健さん(#38)、家辺勝文さん(#42)、伊東宗裕さん(#43)、田良島哲さん(#44)、勘坂純市さん(#47)、安澤秀一さん(#48)の予稿を開催の1ヶ月も前に読むことが可能になりました。また、少なからぬ方々が、当日、この予稿をダウンロードしたものをご自分の携帯用コンピュータに収めて持参されていたのも印象的でした。つまり、私たちは、発表を聴きながら予稿のテキストを加工する自由を手にしたのです。

同じ8月上旬、【歴電】開催告知の第二報もアップロードされ(#49,50,51)、会員以外の方からの問い合わせが寄せられます(#45,46,54,55)。ここで注目したいのは、この【歴電】開催告知が転載自由とされた点です。私もそうでしたが、何人ものの方がお知り合いの皆さんに電子メールで転送することで、自発的に広報活動に参加されたことと思います。

さて、9月に入り、コーディネータとして準備に追われていた児島さんの基調報告の予稿もすべりこみ(#59)、いよいよ【歴電】本番です。当日は、古瀬さんが急病で欠席されるなどのアクシデントもありましたが、早朝からコーディネータの皆さんを中心に電子メールが交わされ、梶田明宏さんが原稿を代読することになりました。

こうして【歴電】本番は無事終了しましたが、むしろNIFTY-Serve上での議論はこれから始まります。9月10日深夜1時26分、【歴電】初日夜に開かれた懇親会から帰宅したばかりの児島さんから、はやくも意見交換の呼びかけがありました(#61)。

これを受けて私(千速)は、田良島さんの発表に関連して、史料の来歴について意見を述べました(#62)。この問題は、その後、田良島さん、児島さん、神立さんとの間で意見が交わされ、電子媒体による記録の来歴の問題に発展しました(#66,68, 73,75)。

また、梶田さんからも、電子媒体による文書のマークアップについて意見が寄せられました(#63)。この問題は、家辺さんや田良島さんとの間で議論が進み( #64,67) 、さらに、当日は参加されなかった〈恭静〉さんから万葉集のSGML化に関して質問と意見が寄せられると(#65,72,76)、児島さんも加わり(#69,70 )、大いに議論が盛り上がりました。

こうした一連の議論を受けて、児島さんから、基調報告の補足が寄せられました(#74)。これもまたパソコン通信ならではのことでしょう。通常の人文科学系の学会口頭発表では、質疑応答の時間はわずか10分ほど。実質的な議論ができないままで終わってしまいます。パソコン通信のおかげで、より深い議論が可能になったのです。

さて、9月下旬から10月上旬にかけて、コーディネータのお一人、神立さんから、4 回に分けて【歴電】レポートが寄せられ(#77,84,85,97)、NIFTY-Serve 上での議論はますます盛んになります。

その第1回は、児島さんの基調報告と伊東さんの発表についてでしたが(#77 )、古文書の特殊文字を電子媒体上でいかに処理するかという問題を中心に、児島さん、神立さん、小口雅史さん(当日の参加者)、伊東さんの間で意見が交わされました(#78, 79,80,81,82,83)。

続いて第2回と第3回のレポート(田良島さん、坂村さんの発表の分)が寄せられると(#84、85)、いっそう話題が広がりました。絵や文字と多言語の問題、TRON とフォントの問題、さらには“諸橋大漢和”の問題と、児島さん、梶田さん、池田証寿さん、谷本玲代さん(ハンドル・ネーム〈でび〉さん)の間で活発に議論が交わされ、家辺さんからは国立国語研究所で公開シンポジウムが開催されるという関連情報が寄せられました(#86,87,88,89,90,91,92,93,94,95,96)。池田さんや谷本さんは、当日は参加されていませんが、パソコン通信においては議論の展開の中で自由に発言することができたのです。また、話題そのものも、発言者の皆さんの関心に応じて豊かに発展していきました。

神立さんからのレポートの最終回(勘坂さん、安澤さん、家辺さんの分)が届いたのは、10月9日でした(#97)。その後、家辺さんご自身からも発表報告が寄せられましたが(#101,102)、残念ながら、実質的な意見は、安澤さんの松江藩財政分析に関する〈MUSE〉さんからのものだけにとどまりました(#100)。【歴電】当日からちょうど1ヶ月。NIFTY-Serveにアクセスできる皆さんの間での意見交換がひとまとまり落ちついたということでしょうか。また、今回の議論に参加された皆さんが、「歴史フォーラム(FREKI)」18番会議室「歴史のコンピュータ活用」や、「シェアテキストフォーラム」19番会議室「国境を超えるテキスト」など、それぞれのホームグランドをもっていらっしゃって、しだいにそちらに戻られたのも、一つの理由だろうと思います。

11月上旬、私がNIFTY-Serve上での【歴電】に関する意見交換のようすをニューズレターに紹介したいと申しあげ(#104)、皆さんからの賛同と助言をいただいたところで(#105以降)、5月14日の児島さんの最初の呼びかけ(#7)から半年の長きにわたった【歴電】は、ひとまず終わったのかもしれません。けれども、ここでの活発な意見交換は、それに加わった皆さんの、そしてこの意見交換を熱心に読み続けたROM (READ ONLY MENBER)の皆さんの中でさらに発展を続け、来年の第6回「歴史研究と電算機利用」ワークショップにつながっていくことと思います。

: パソコン通信上では、このように本名ではなくハンドル・ネームという一種のペンネームを使っている方が少なくありません。本文ではハンドル・ネームは〈 〉で表記しました。


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