情報史の概念と情報学

愛知淑徳大学文学部 村主朋英

1 はじめに

情報学は従来,分野としての基盤整備を急ぐ必要がある一方,つねに情報技術の進展に晒され,将来をみつめることに専心してきた。そのため,近年に至るまで,力を歴史の探求に振り向けることが少なかった。 その意味で,「情報史」の概念およびその研究の戦略を提案した1986年のStevensの論文(1)は画期的なものであった。

図書館情報学の文脈に身を置いていない方には,これは意外かもしれない。図書館情報学系統の情報学から離れれば,さほど目新しい着想ではないし,とくに情報化社会という語が大衆化した日本では,1970年代から関連の試みが見られる。

しかし筆者は,情報学という学術研究領域を背景として,組織的な情報史研究領域を企てたという点で,Stevensの構想を支持したい。

最近の論文で,そうした点を詳論し,情報学全体の枠組みの問題を考慮しながら,今後の情報史研究のあり方を検討した(2)(3)。以下,この双子の論文を合成・要約し,筆者が情報史研究に期待する点を述べていきたい。

2 Stevensの構想

2.1 情報史の概念

Stevensは「情報史」という語の定義を明確なかたちでは示していない。ただStevens論文の序論を解釈すれば,「情報を人類社会の歴史の展開における要因 と考え,情報が社会の発達に与える影響に力点を置いてとらえた歴史」という定義を引き出すことができる。

彼の考える情報史の研究とは,これまで一定の領域で系統的に行われてきたわけではなく,関連諸分野(情報学,歴史学,あるいはその他の類縁分野)で断片的に行われてきたものである。そこで彼は,図書館史・コンピュータ史・書物史・コミュニケーション史等を統合し,さらに人類学・一般の歴史学・社会学等の分野の研究を巻き込むことによって情報史研究領域という統一分野を形成すべきであると考えている。

こうして,単に情報技術や情報サービスの系譜を描くものではなく学際的・総合的な情報史研究領域を構想しているが,これは情報に関する研究全体の学際化の趨勢(4)と呼応している。

2.2 Stevensの枠組み

Stevens論文の本体は情報史研究領域を構築する際に有用な既存の著作をレヴ ューしたものであり,詳細な歴史叙述は試みていない。ただレヴューの枠組みから,彼の思い描いている歴史像が浮かび上がる。

まず情報史の全体像を示すための基本的な時代区分は先史時代・記録の時代・印刷の時代・近現代の四つである。斬新なものではないが,かわりに特定分野に依存せず,また社会全体の情報流通過程と社会全体の双方の変化を顧慮したものである。この意味で,彼の構想する歴史像の根幹は情報流通機構や情報システムの発達史に留らず,それらに焦点を当てている「文明の発達史」であるといえる。

こうした通史を補うために,彼は各論に焦点を置いたアプローチも提案している。どの時代にも一貫して見いだされる諸現象の中で,情報史の立場から重視すべき主題として,リテラシー,知識の組織化,情報と経済,情報の提供・配布に関わる機関,管理と自由という五つを挙げている。これらは情報史を特徴づける諸側面であると同時に,情報史の進展を識別するための尺度となる。

さてStevensは,種々の分野の著作をレヴューし,コヒーレントな歴史像を示 した。しかし情報史という領域の構築のための(とくに学際的な研究により総合的な情報史を描くための)具体的な方策は示していない。

そこで筆者は,Stevensの構想を掘り下げ,情報史研究のための枠組みの検討 を行なった。

それらの検討内容を次に紹介する。

3 情報史研究のあり方

3.1 情報史研究の要件

Stevensはむろん言及していないが,日本語文献にいくつか情報史の著作があ る(2)。

近年,歴史の専門家の手による著作が増加しており,歴史全般や各人の専門とする範囲に対する見識,さらに記述の技法という点で優れている。しかし総じて,「情報・コミュニケーションの諸問題を系統的に網羅した歴史研究」ではなく,「情報関係の話題に焦点を当てた歴史記述」という印象が強い。まず情報に関する考え方がわからないから,焦点が不明である。

そうした視点の著作の価値は後述するが,しかし歴史の探求の一環というより,むしろ情報の探求という営為のもとで情報史研究を行なわなければ,話題が拡散し,情報の問題に対して示唆深いものにはならない。

一方,松岡正剛監修の年表(5)は,大変な労作である。これはもともと「情報の」というよりは人類に関わるあらゆる事象の編年を企図したという経緯もあって,情報の問題と人類の歴史の複雑かつ根深い関係を網羅している。社会変動の要因として情報が機能し,情報を統制する社会組織が社会全体を統制したこともあり,また情報技術が文明を変化させたこともあり,その間に人類は文献などによって情報を蓄積して伝承してきた。さらに,「歴史」そのものが重要な「情報源」でもある... といった具合に,多くのレベルに渉る因果関係を読み取ることが可能である。この著作は,こうした情報と歴史の関わりの多重性を眺め,そこから種々の着想を読み取ることができる。

ただ,当然ながら情報や情報史に関する論考として提示されたものではない。情報史の流れを略述する解説が時代の区切りごとに挿入されているが,これらは歴史の流れを読み取るためのヒントと考えるべきだろう。さらに,この著作から浮かび上がる歴史像においては,情報の概念があまりに多様な様相を示している。

こうした点から,これを情報史の範例と見なすことはできない。この年表からイメージできるような情報史の全体像に対して,さらに組織的・分析的な探求を行なう必要がある。

このように,情報史研究は情報に関わる諸問題への取り組み方が問われる営為であり,情報に関する系統的・理論的な検討を先行させる必要がある。

3.2 情報化社会論の歴史観

情報に関するヴィジョンは,情報史に属する歴史叙述を特徴づける歴史観として機能すると考えられる。 ここで想起されるものに情報化社会論がある。これは情報と文明との関係についての知見を基盤としたいくつかの論の集合であるが,ここでは共通する特質をやや乱暴にまとめよう。

まず中心的な産業を基準に農業・工業・情報産業の三つの時代が想定され,時代の転換が革命的な飛躍を伴うと考えられている点。そして「情報革命」という語に象徴されるように,近年の技術革新による社会の革命的変化により,一転して情報が中心になる社会が生ずるという点の二点が特徴である(2)。

これに対しStevensは,“情報はさまざまな形態を取りながら人間社会の発展 において常に重要な要素であり,そして,長期間にわたってわれわれの思考や行動の様式に影響を与えてきた”(1)と述べ,最近になって情報時代という新たな段階に突入したのではなく,人類の発達過程すべてが情報化社会であるというテーゼを示している。

むろん「現代は今までで最も情報による影響の強い社会である」という主張に反駁するのは面倒である。ただ,以下の点は批判できる。過去をそのような現代社会に至る道程としか見ずに,社会が情報中心の新たな段階に突入していると仮定した上で情報時代(情報化社会)までの発達史をたどるアプローチは,現代社会の価値尺度に基づいて過去を論ずるアプローチである。一種の進歩史観ないし勝利者史観であり,過去の社会は「光輝に満ちた近代」に対する「暗黒の中世」となってしまう。

政治・経済体制の変遷をたどり,その主因をピックアップしながら,さらに今後の社会を予測するという目的ならそれでよい。しかし情報史は,「各時代の人類と情報との関わりをたどりながらその変遷を見る」といった目的を設定する探求であり,こうしたアプローチでは歴史認識に歪みが生じやすいために不都合である。

Stevensのテーゼは,情報化社会論のように歴史認識を予め統御する因子を持 たない。ただ,このテーゼの立証を目標にすることによって,より情報史に関する精緻な理解が期待できる。というのは,このテーゼの立証のためには,時代ごとに,その時代の文脈でその時代の動機付けに基づいて人類が情報と関与してきた過程を眺める必要があるからである。とくに個々の時代を相対化し,それぞれの時代での主要な情報流通システムや情報の役割を同定することが重要である。

3.3 「情報史観」の着想

Stevensの構想から,情報史の歴史観について,歴史に関する見方というより も,情報に関する学術を基盤として追究すべきだという着想が得られる。しかし北川敏男は,Stevensに先んじて,「情報史観」という語を用いて,こうした着想を提唱していた(6)。

北川は,図書館情報学系統の情報学の成立と同時期の1960年代に,大規模な学際分野として「情報科学」を構想していたが,彼のいう情報史観はこの「情報科学」のものの見方を歴史世界に応用して得られる歴史像である。その意味で,動的な仕掛けが付随している。情報に関する(「情報科学」の)理論的枠組みから導出された仮説の集合体がまず設定され,それらは史料(情報源)との相互作用により検証にさらされる。歴史に対して一定のイメージの投影が行われたあと,それら仮説が歴史研究の過程で修正され,その相互作用の過程から歴史像が生ずるという仕掛けである。

この着想のもとでは,情報に関する研究成果の全体が情報史研究のために貢献しうる。

この北川敏男の着想をそのまま「情報学」の文脈に持ち込めば,情報史研究とは情報学の概念・理論および関心事項を基礎にして,史料を分析・解釈し,歴史像を形成する行為である。

3.4 情報史研究の戦略

こうして,事は情報史という領域にとどまらず,情報学全体の問題につながる。情報史は,情報学という分野全体が総力を挙げて歴史世界を堀り進む営為という理解もできるようになる。換言すれば,情報史とは,歴史を情報学の観点から眺めることである。あるいは,情報学の眼差しを歴史に投げかけることである。

しかし,依然として残るのは,「そこでいう情報学とはなにか」という問題である。ここではとりあえず北川の「情報科学」をそのまま(図書館情報学でいう)「情報学」と読み替えて考察を進めた。しかしこの二者は,無関係ではないものの出自の異なる領域である。

そもそも「情報学とは」という問題に関する議論は,情報学の学際的性格が認識された1980年代を経て(4),現在も続いている(7)。こうした状況で,情報史の基盤としての情報学を一定の枠組みに留めることは危険である。

第一論文(2)では,そうした状況の解決へ向けた理論的な営為と並行し,情報に関する種々の学術的アプローチや種々の考え方をもとに,それぞれにおいて情報史研究を進め,その成果を持ち寄ることによればよいと判断した。ただ,個々の研究においては,情報に関する考え方の多様性を踏まえ,情報に対する考えを必ず表明することが望まれる。

情報学という分野の安定を待ってから始めるのでは,なかなか情報史に取り組めないことになる。また情報に関する考え方を狭く限定していては,多彩な情報史研究の登場が望めない。さらに,理論的な議論よりも,異種の枠組みに基づく歴史像どうしの比較・検討の方が,統合へ向けての手がかりが得られやすいと考えられるから,情報史研究を通じて逆に情報学の統合への手がかりが得られる可能性もある。

さらに第二論文(3)では,「情報学の歴史」を情報史の戦略的な一部門として位置付けることにより,情報学に関して,情報史研究の一環として取り組むべきだとの着想を示した。これによって,情報史に対して眼差しを投げかける主体である情報学の問題に関して,情報史からも寄与がなされることになる。

しかし,このような戦略にもとづいて個別の情報論を個別に歴史の探求に適用しつづけていると,一種のアナーキズムに至り,情報史に関わる諸成果がきわめて多様なものになる。

かといって,それら多様なものを一定の視点から統合しようとしたら,元の木阿弥である。個別の視点の有用性を損わず,多様性を維持したまま全体を統合するような,上位の枠組み,あるいは観点の探求が必要である。

4 情報史の枠組み

4.1 情報史の多面性

前章で,情報に関する観点の多様性を許容することにより,情報史の著作が多様なものになると述べた。この点をもう少し掘り下げよう。

情報史の対象は,素朴に捉えれば「情報」である。しかし情報に関する抽象的な定義(不確実性を減少させる,意思決定の資源となる,といったもの)をもとに考えても無意味である。情報の発生・伝達・受容,もしくは流通・蓄積といった現象や,それを成り立たせている諸要因(書物やコンピュータなどの物体,情報を利用する社会集団や個人,情報を仲介する集団・個人・機械,あるいはそれらの起こす活動・過程)を視野に収めることが必要である。

こうした多様な要素が織りなす情報史の全体像は,単一の観点の限られた視野で見渡すのではなく,異なる複数の側面から交互に見ることによって十全に理解できるものと思われる。

つまり,情報史対象が多様であるとか,それを眺める観点が多様であると考えず,情報史の歴史像を多面的なものと考え,相異なる観点を併用して眺めるべきものと考えればよい。

4.2 情報史の五つの側面

第一論文(2)では,情報史に関わる既存の著作を類別し,その主要な関心事項を考慮して,五つのグループを同定した。

 A:情報を扱う道具・方法・機関の歴史
 B:情報に関する考え方・概念・理論の歴史
 C:コミュニケーション/人間や集団の相互作用の歴史
 D:人類の社会・文化および自然環境における情報・情報活動の影響の歴史
 E:人類が蓄積・継承してきた知識の歴史

このグルーピングは,総合的な情報史の歴史像を描くために網羅すべき五つの側面を反映したものとなっていると筆者は考えている。

とくに,近年,コミュニケーション研究と情報学という相異なるアプローチの相違がさかん論じられるようになり(7),その統合も構想されている(8)が,CとEはそれぞれ,この二つの観点を反映している。

コミュニケーション史は今日,めざましい進展を見せている(9)が,これをやや乱暴に概括すれば,情報・コミュニケーションの技術・方法が社会における人間の活動に与える影響を中心とするものである。これは一見,Stevensの構想に 単体で合致する。しかし,こうしたトピックに加えて,実際にわれわれが何を知り,何を伝達してきたのかといった点も考慮しなければ,総合的な情報史は完成しない。

このCとEの並立を含め,上記の著作グループを生み出す相異なる複数の視点を並立し,情報史を多面的なものとして探求することを情報史研究に望みたい。

グループAで表されるような,技術や機関にのみ関心を持つ視点も有用である。Dの視点は,3.1で言及した歴史家の手による情報史の著作のように,一般の歴 史的事項(政治・経済体制の変遷等)によって構成される広い文脈の中で情報・コミュニケーションに関わる事項を位置付ける視点である。そうした視点からは,情報に関わる事項だけをみつめていては見えてこないものが提供されるだろう。Bは,前述のような情報学史である。情報学や情報サービスといった専門分野の活動は,情報史全体において大きな役割を果たしているし,3.4で示したように 情報史研究自体にとっても戦略的な意義を持つ。

最近の情報史関連の著作の中で,桂英史(10)は図書館情報学のトピックを十全に盛り込んで,なおかつ図書館史やデータベースの歴史といった範囲に落ちず,コミュニケーション研究等でいうメディア論に根差した歴史叙述を展開している。この著作は,上記の観点のいくつかを横断的に網羅している点で高く評価できる。

多面的な情報史の歴史像を追究するためには,さまざまな情報論を背景に個別の側面を扱ったような情報史の著作に加えて,こうした仕事が数多く登場することも望まれる。

4.3 情報史研究と情報の研究

以上の考えから,情報史とは情報機器や情報サービス活動,あるいはコミュニケーション行為といった要因に加え,個人の心理的世界や語られた言葉を含む人類の歴史の総体ということになる。これは,松岡らの年表(5)によって示されるイメージにほかならないが,さらに五つの側面の区分を意識しながら,情報学(ないし情報に関する種々の理論)の枠組みに基づいて構成する必要がある。

こうした作業によって得られる歴史像(あるいは,筆者の考える情報史研究が「見ようとする」歴史像)は,単に「情報に関わる事象に焦点を当てた歴史」ではなく,人類の活動によって生じた時間と空間に関する新しい見方を提供するだろう。

ここまでくると情報史は,歴史学にならった仮説の検証などによる実証的研究だけではなく,情報学における情報流通過程のモデルや,さらには情報の概念を中心にコスモロジーを再構成しようという動向(11)(12)(13)と結び付く理論的営為を含まざるをえない。

筆者は現在,こうした考えから,「情報空間」という語の多様な用例の分析(14)をヒントにしたり,Ruben(8)の情報/コミュニケーション過程の図式を参考にしながら,情報/コミュニケーション現象が自然に立ち現れるような空間論を模索することによって,情報史研究の支援を図っている。

このように,情報史は,情報学の理論的研究の諸成果が歴史研究という手段と結び付き,新しい世界観を生み出すものといえよう。

5 結び

情報史研究とは,情報およびコミュニケーションの過程に関する抽象的な歴史モデルと,史料との相互作用を繰り返しながら,歴史像を得る営為であると見なした。これは,歴史という語をはずせば,「情報のモデルと研究対象との相互作用によって情報に関わる諸現象を解明するもの」となり,まさに情報学の営為そのものである。 結局のところ,情報史は情報現象の総体に対する,包括的なアプローチの一つと考えてよいのではなかろうか。

このほかにも,Stevensの構想に基づく情報史研究の意義は以下のように多様 である。

(1)歴史学的方法に基づく情報研究として。情報に関わる社会的活動や制度,また技術・技法について,歴史をたどることによって理解が深まる。

(2)情報学という分野の成立に対する意義。

情報学,もしくは学際化された情報研究領域の統合のために,歴史認識の共有を促す。

「多様な現象のうち,どれが情報の問題に深く関わる現象なのか,あるいはそれら現象の相互関係はどうなっているか」という問題について,抽象論・一般論ではなく歴史における事象をもとに考えることができ,学際化の枠組みを検討する材料が得られる。

(3)情報の機能,そして情報の本質を考究する際に,具体的な事例が広く得られる場を提供する(実証や実験の場にはならないものだが)。

こうした点を鑑みて,情報史に関心を持つ多様な領域の者を巻き込んだ,情報史学会(ないし既存の学会の分科会)のような組織があれば有効である。

情報史の著作は,今までどおり各種の学会や各種の文献にぽつぽつと現れつづけるかたちでもよいと思うが,一方でそれらを概観するような手段が必要である。また情報史に関わる多様な視点と多様な材料を見いだし,整理していくためには,多くの人間の共同作業が必要である。さらに情報史の枠組みに関する議論のためにも共有の場が必要であろう。

さしあたって,関連文献の書誌(データベース)を共同作成するボランティア組織でよいから,何かグループができればよいと思っている。筆者個人としても,情報学初学者のために作成した小さな年表(15)に関する批判を頂戴したり,また改訂版を配布するなどの活動をする場がほしいと思っている。

このような組織について,大学の同僚とともに構想を練りはじめているが,関心のある方はぜひご連絡をいただきたいと思う。


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