東京造形大学図書館 大江長二郎
現在、美術・デザイン系大学(以下、美術系大学)の数は短大も含めると全国に約30校ある(いわゆる美学・美術史などの美術系学科をもつ大学を含めると約 250校になる)。これらの美術系大学では、絵画や彫刻、工芸、グラフィックデザインや工業デザイン、インテリアデザイン、あるいは映画などの学科を持ち、それらの学生数は約5万人に達するのではないかと思われる。そこに附属する図書館では、図書や逐次刊行物等の一般的な図書館資料のほかに展覧会カタログや企業のPR誌、ポスターや版画といった視覚資料、ビデオ資料やCD-ROM等の光・磁気メディアといった資料群の収集をも積極的におこなう館が増えてきている1)。
一方、このような美術系大学図書館における機械化は、『日本の図書館』(日本図書館協会 年刊)によれば、1983年に京都工芸繊維大学と九州芸術工科大学の国立大学図書館が図書・雑誌の発注・受入から閲覧までのトータルなコンピュータシステムを運用しており、私学では大阪芸術大学図書館が閲覧用のシステムを運用していたところから始まっているようだ。翌1984年からは毎年1〜2館ずつコンピュータの導入館が増加し、1990年になると東京芸術大学図書館をはじめとする4館が一斉に図書の整理から閲覧利用を目的とするトータルシステムの運用を開始した。全校のデータが揃っていないので確実ではないが、1984年から1990年までの間に集中して機械化が行われたことがうかがえる。その後 1991年には、合計8館がNACSIS-IRなどの外部データベースを利用しており、情報ネットワークの本格的な運用の時代を迎えたといえよう。そして、今年7月には武蔵野美術大学美術資料図書館がインターネットによるホームページを開設し、新たな展開が始まったことを予感させる2)。
このような状況の中で、利用者はどのような観点から図書館を利用するのかを明らかにし、その対応の一端を事例的に述べてみたい。
美術系大学図書館における利用者のニーズと、それに対応する資料(情報)を類型化するなら、概ね次のようなような構成が考えられる。
美術系大学で、多くの学生がアーティストやデザイナーになることを希望する。彼らは時代の感性と表現能力を武器に、さまざまな方法で自分なりに表現してみたいと考えているようだ。そうした彼らの一般的な読書は、極めて雑食的かつ折衷的であるように思える。さまざまな素材によって新しいモノのかたちと色彩を作り出すためには、そうした方法が最も自然で効率がいいのかもしれない。上記「1」の資料群で示したブラウジング用資料とは、そうした読書傾向に最も効果的なものであろう。しかし、こうした一見曖昧に思える読書方法によって、彼らの記憶の中に留めた一枚の画像を追って探索を迫られることが多い。それは、本屋で立ち読みしたのか図書館で見たのかも曖昧で、もちろん雑誌名もあやふやで、いつごろ自分がそれを見たのかについてはおおよその見当がつくし、その中の図版についてはよく覚えているといった状況の中で、一緒になって推理ゲームを展開する。
また、上記「4」における「利用者のイメージした特定の図版」とは、我々にとっても頭の痛い存在である。しかしその必要性は、彼らが学ぶ基本的な作品製作のプロセスを知ることによって理解できる。そのプロセスを略記すると、以下のようになる。
このように学内では、実社会の現場にそって作業が進行する。ここでの美術作品とデザインの大きな違いは、クライアントが作品に対してどのように関わるのかということであり、製作を開始する前に、クライアントにこれから造ろうとする作品を具体的にどのように説明(プレゼンテーション)するのかということが、デザイナーの必要条件となっている。このとき、作品のイメージをより具体的に表現するために画像をコラージュ(貼り付ける)する手法を用いることが多い。デザイン製作の課題が始まると、学生達はある日突然、特定の画像を求めて図書館にやってくる。
もし仮に図書館で目的のものを発見すれば、再び彼らはやってきて自分で探したり我々に新たな質問を投げかけるだろうし、図書館で発見できない場合は、彼らは街に行き画材店や本屋あるいは企業の広報部等に直接出向いて資料を入手したりする。近年渋谷や池袋にある「ロゴス」や、六本木の「青山ブックセンター」といった美術・デザインに関する洋書を重点的に揃えた専門店の進出は、こうしたニーズを背景にしているのではないかと思われる。彼らは第一義的には、求める資料さえ揃っていれば無料である図書館の利用を考えているはずである。なぜなら、アーティストやデザイナーを目指す学生にとって、高価な画材や機材費の捻出に絶えず追われているからである。特に、デザイナーにとっては時間の制約もある。製作のための時間を割いてまで、資料の収集に費やすことはできない。しかも彼らにとって、過去の作品を知っていないということは致命傷である。それは、彼らの作品にオリジナリティーがあるのかということを判断するためには、過去の作品をより多く知っていなければならないからである。このようなことから、<美術系大学図書館における情報ニーズの主体は画像である>ということができるのではないかと考えている。また、このような図書館利用者の傾向は、日本に限ったものでもなさそうだ3)。
彼らが求める画像を大きく分けるなら、作家作品と百科全書的図版の二つがある。特に百科全書的図版は、歴史的遺物から新製品といったモノの形態から自然現象や社会状況(事件写真や肖像写真)まで、あらゆるものの図版が対象となっている。しかし現在に至るまで、図版探索のよりどころの多くは、推理のカンや記憶に依存するという人間的な作業であるために、あやふやで極めて困難な場合が多い。長期休暇(夏・冬)の後ともなると、「以前見せてもらった」と言う利用者の追及が悪夢のように思えたりする。探索ツールの不備や、これまでの多様な画像探索に関するレファレンスの記録を、蓄積してこなかったことにも苛立つ瞬間だ。
たとえば利用者は、レファレンスサービスのカウンターに「海の風景を撮った写真集はありませんか」と聞いてくる。もし仮にそのような内容の本が所蔵されていたとしても、利用者は実はそういった本を漠然とブラウジングしたり、読んで海の風景写真の撮影方法について勉強したりというわけではないことが多い。したがって、すぐに端末で探索という行動に移ることはあまりない。我々は最初に利用者にその写真の使用方法(目的)や、具体的な海のイメージについて聞くことになる。彼らのイメージは極めて具体的であるために、より正確でなければならない。その海は南国か北国か、そこには人物がいるのか、浜辺は岩場か砂浜か、波の状況はどのようか、写真はカラーかモノクロか、といったいくつかの質問の中で、資料の大まかな選択を行っていくのである。たとえばそれは海の写真集ではなく、雲の写真集であったり“National Geographic”や『Newton』などのグラフィカルな雑誌の1ページ、あるいは旅行会社の1冊のパンフレットなどであったりする。
ある日の教員からの質問はこうだった。「映画<地獄の黙示録>の最後の場面でカーツ大佐が独白した台詞が聖書のパロディではないかと思うが、その事実関係を知りたい。今週中に返事をもらえればありがたい。」
調査は、<地獄の黙示録>がいつごろ日本で上映されたものかを知るために、記憶を頼りに『雑誌記事索引』を見るところから始めた。その映画のシナリオが、最初の手掛かりとなるからである。シナリオがなければ映画を観るしかない。しかし、それはすぐに『キネマ旬報』1980年1月初旬号に全訳シナリオの掲載があることを教えてくれた。その台詞というのは詩の一節だった。その詩を繰り返し読んで感じたことは、アルチュール・ランボーとかアメリカのビート詩人たちの作品かもしれないということだった。しかし、次の手掛かりがない。もう一度『雑誌記事索引』にあたって、映画の評論記事を探すことにした。数日間は、空いた時間の中でいくつかの関連文献を通読していった。そう簡単に次の展開が得られそうにもないし、言い訳を見つけることに専念したほうがよさそうだ。そんなことを思いながら読み進むうちに、同誌1979年10月下旬号に掲載された<地獄の黙示録>の評論記事「ヴェトナムを突き抜ける狂気の文明論」(金坂健二著)の中で、T・S・エリオットの詩『荒地』に触れた一節を発見した。何はともあれ、早速館内の端末でエリオットの作品集を見つけだして、最初の『荒地』から読んでいく。(これ、昔読んだよなー)と思いにふけっていると、なんと、あった! あったのだ。しかも、約束の期限の日に。
それは、翻訳に微妙な表現の違いはあるが、1925年に作られた『うつろなる人々』(又は『空ろな人間』)という訳題の詩を、冒頭から台詞に引用していたのだ。聖書までの道のりを残していたが、その旨を質問者に伝えた。結局調査はその時点で終了することになったが、相手が満足をすれば(仮に満足しなくても)、我々は彼らが求める以上の調査をすることはない。
我々はレファレンスサービスのカウンターで、絶えず画像や映像に目を向けさせられている。