情報知識学会ニューズレター > No.45 (1997.8.1) > 翻訳とターミノロジーについての諸問題

翻訳とターミノロジーについての諸問題

シャープ株式会社パソコン事業部 森口稔

 翻訳とターミノロジーの問題は、大きく3つに分かれる。 翻訳とターミノロジー自体に内在する問題と、道具の問題と、社会的環境に関する問題である。本稿では、それらの問題につき、原則として、現在の日本国内における英語と日本語の問題に絞って紹介し、英語以外の言語や海外の状況や歴史的背景には、間接的に触れるに留める。また、ここで「翻訳」という場合は、いわゆる「産業翻訳」を指し、文芸翻訳は含まないこととする。

内在する問題

 翻訳とターミノロジーに内在する問題は、各用語に対する定訳の問題と言い換えてもよいだろう。これについて、原言語と目的言語の語句の対応・専門レベル・文化的背景・表記・文脈との関係など、様々な問題が考えうる。

 最初に問題となるのは、どの語句とどの語句が対応するかという点である(日本語の場合、どこまでを単語と捕らえるかは微妙な問題なので、ここでは突っ込まない)。普通に考えて、日本語では1単語であるのに、英語では2単語以上の語句がそれに当てはめられている場合が多いが (例:inferior arc = 劣弧)、その逆も考えられる(例:endoparasite = 内部寄生)。同義語があった場合、1対1の対応関係をどうするか、ということもある。

 次に、レベルの問題がある。前提として、どこまでのレベルを専門用語とするかというターミノロジー自体の根本的な議論もある。 それが翻訳となった場合、英語では専門用語と考えられている語句が、日本語では日常用語であったり、その逆もあるだろう。たとえば、"onomatopoeia"という語はアメリカ人には言語学の専門用語だろうが、「擬音語」は普通の日本人なら知っている。

 また、翻訳の初心者や、自分が知らない分野の翻訳の際に問題になるのは、英語の専門用語の見つけにくさである。日本語の場合は、何となく難しそうな漢字が並んでいれば専門用語だと推測できるが、英語の場合、各単語の意味は知っているのに、複合語として見た時の全体の意味が分からないことがコンピュータや社会科学系などでは多い(例:operating system)。

 原言語にはあるが目的言語にはない概念の訳語をどうするか、という翻訳にとっての永遠の課題もある。その場で訳語を作るか、近い語句を無理に当てはめるか、または原語の音をそのまま取り入れるか、のいずれかになるが、どの場合にしろ、その訳語が定着してしまった後では、それ以外のアプローチをしても一般には通じにくい。Sushiという英語になってしまった日本語を、今更"vinegared rice with fish and vegetables"と言っても、聞いているアメリカ人も説明している日本人も、まだるっこしく感じるだけだろう。

 さらに、この問題を日本語のカタカナ語に絞って考えたとき、3つの問題が浮かび上がる。まず、いわゆる和製英語の問題があり、これについては、柴田(1996)が細かく分析している。次に、私だけかもしれないが、心情的になんとなく気持ちが悪いのは、英語の訳語として別の外国語に由来するカタカナをつけなければならないときである(例:climing rope = ザイル)。3つめに、これが最も危険だが、英語とカタカナ語が同じでありながら、微妙に意味が違ったり、英語としてはほとんど使われないような場合である。例を挙げれば、onlineという語がある。厳密な意味はともかく、通常、カタカナで「オンライン」というと、「ネットワークに接続している」という意味で受け取るが、英語では、ほぼ「コンピュータによる、コンピュータ上で」という意味に等しい。

 では、こういった問題を抱えた、いわゆる「定訳」は、誰がどのように作ってきた、または、作っていくべきものなのだろうか。 恐らく、現在の日本で最も多いのは、一つの狭い分野なり業界なりで自然と訳語が決まり、淘汰されていくという過程ではないかと思われる。 しかし、明治維新の際のように、大量に入ってきた西洋の文物の訳語を、一握りの知識階級が決定してしまうこともあるだろう。養老(1997)が解剖学用語について指摘するように、国際学会等で決められる場合もある。また、たとえば、パソコンのユーザインタフェースでは、Windowsの訳語つまりはMicrosoftの訳語が、好むと好まざるとに関わらず、標準にならざるをえない。そして、こういった人為的な訳語の問題は、誰がそれを評価するか、である。初めてパソコンに触れるユーザにとっては、日常の言葉からかけ離れた用語の使い方をされていても、それに異を唱えることはできない。

 さて、そのように生まれてきた定訳も、永遠のものではない。 日常用語より変化の度合いは緩慢ではあろうが、一般の言語が変化していく中で専門用語のみが影響を受けないということも考えにくい。その変化が、原言語と目的言語においてスピードが違う時、翻訳に影響が出ざるを得ない。語彙そのものは変化しなくても、上述した専門用語レベルは確実に変化する。現在、60歳を超えた私の母が知っているようなコンピュータ用語も、10年前は開発者しかしらなかったものかもしれない。 また、寿命が尽きて消え去っていく用語と訳語がある一方、次から次へと出てくる新語があり、上述した問題が繰り返されていく。  最後に、根本的な問題として、定訳とは本当に「定まった訳」なのか、という疑問がある。一つの専門用語が、他の複合語の構成要素になる時、常に同じ訳をすべきかという問題である。英語から話がはずれるが、一例を紹介しよう。奈良の大仏は、正式には毘盧舎那仏という名の仏像で、ビルシャナ仏と読む。この「ビルシャナ」は、サンスクリット語の「太陽」を意味する virocanaの中国語への音訳である。一方、密教の中心となる大日如来の「大日」は、virocanaの前に「大」という意味のmahaが付いたmahavirocanaの意訳である。もし仮に、virocanaの訳を統一しようとすれば、毘盧舎那仏を「日如来」とするか、大日如来を「大毘盧舎那仏」とするしかないが、これは混乱を招くにすぎない。こういった問題は他の分野でも意外と多く、私は勝手に「ターミノロジーにおける大日如来問題」と名づけている。

 上記の問題とは別に、いわゆる「定訳」が存在するように見えても、企業により、分野により、異なる訳語を与えられることは多いし、仮に訳語の音が同じであっても表記が異なる場合もある。専門家にとっては、わざわざ翻訳をせずに原言語のままで書かれていた方がわかりやすいこともあるし、逆に、翻訳されたテキストの読者が専門家でない時には、専門的な定訳ではなく、かみ砕いた説明もしくは比喩的表現の方が親切だろう。恐らくこういった点を踏まえて、Sager(1995)は、ターミノロジストと翻訳者の役割の違いを、ターミノロジストは用語を文脈から切り離す作業を主とするが、翻訳者は文脈の中でどのように用語を訳していくかに専念するもの、と指摘している。こう考えると、ターミノロジストから提出された無色透明な定訳を、翻訳者が実務の中で使うことのできる場面は意外と少ないのかもしれない。

道具の問題

 上述のように内在する問題を抱えながらも、日々、各種の専門用語が翻訳されている。次に、その際の道具となる辞書とコンピュータによる自然言語システムについて触れる。翻訳者にとって理想的な辞書とは、一体、どのようなものか。専門分野の語彙をすべてカバーし、原言語からも目的言語からも「定訳」で検索ができ、平易な文章で用語の解説があり、概念間の関係が明確に記述され、共起語や用例が豊富に記載され、フォーマルな語句か隠語的な表現かが分かり、必要な場合には図も載っているような辞書。そして、誤りがないこと(何を当たり前のことを、と思われる方は、松下(1994)を参照して頂きたい)。こんな辞書があれば、おそらく、翻訳者は泣いて喜ぶことだろう。しかし、逆に言えば、こんな辞書がないからこそ、翻訳者とその予備軍は、良い辞書を捜し求め、雑誌でも様々な辞書が評価されることになる( 『翻訳の世界』が毎年春頃の号で辞書を紹介していて興味深い)。それでも辞書のある分野や言語はあるだけ幸いで、たとえば、ホームセキュリティの分野の専門辞典やノルウェー語の専門辞典は日本では見当たらない。

 理想的な辞書がないのは紙の上だけではない。CD-ROMで様々な辞書が出されているが、検索性は別として、内容的にはほとんど紙で出版されている辞書の焼き直しと考えてよさそうである。一方、人間ではなく、コンピュータによる自然言語処理を前提とした辞書はどうか。人間用の専門辞書は、どちらかというとその分野の専門家向けに書いてあり、門外漢がちょっと参考にするには難しすぎる場合が多いように思えるが、自然言語処理システム用の辞書は、何も知らないコンピュータに教えるのだから、共起語や概念関係なども記述されている(横井 ・末松1995)。しかし、専門外の人間ならば、ある意味ではコンピュータ以上に何も知らないわけだから、これが人間の読める形にしてあれば、結構、役に立つものができそうである。にもかかわらず、この両者の歩み寄りがないように思える。オンラインで検索できる大規模用語データベースの構築に向けて、情報知識学会の会員の方々がリーダーシップを取って頂ければ、翻訳に関わるものとしては非常に有り難いのだが。

 さて、自然言語処理の中で機械翻訳に話を絞ると、現在アジア太平洋機械翻訳協会を中心にユーザ辞書フォーマットの標準化の動きが出てきているのは特筆すべきだろう(村木・亀井1997)。 これまでは、各メーカの機械翻訳システムの間に互換性がなく(テキストデータを経由して変換するという方法はあったかもしれないがユーザにとっては現実的ではない)、せっかく構築したユーザ辞書もシステムを買い変えると無用の長物となっていた。この標準化が成功すれば、次は、前述の大規模用語データベースへのステップにもなりえ、言語知識の共有化へ向けて大きな一歩となりえるかもしれない。

 機械翻訳以外では、ユーザが自分で過去に翻訳した対訳文を管理したり、訳語統一のためのソフトなどがあるが、機械翻訳とそれにタイアップする辞書ほどには大きな活動は見られないようである。

社会的環境に関する問題

 翻訳もターミノロジーも、社会的認知度について同じ問題を抱えている。まず、「産業翻訳」という語も「ターミノロジー」という語も、それに関わっている人間以外は、ほとんど知らない。翻訳と言えば文芸翻訳と考えている人が多いし、terminologistという英語に対応する適確な日本語もない。そのためか、分野にもよるかもしれないが、翻訳者もターミノロジストも、その分野の実務者に比べると収入が少ない(これは私の個人的経験によるものだが)。

 アカデミックにはどうか。 どちらも分野横断的な学であり、それを専門的に研究・教育する機関が日本の大学にはない。

 WWWのTerminology Forum (http://www.uwasa.fi/comm/termino/centres.html)というサイトで、世界各国のターミノロジーに関する機関を紹介しているが、日本の項目はない。ターミノロジーを専門にする団体と言えば、専門用語研究会ぐらいではないだろうか。翻訳の方は、 日本翻訳連盟と日本翻訳協会の2団体が国内では大きいが、たとえば米国翻訳者協会と比較してみると、その規模はまだまだ小さなものである。日本翻訳連盟は、日本で唯一と思われる翻訳に関する研究誌を発行しているが、年1回ターミノロジーの特集を組んでいる米国翻訳者連盟の機関誌と比べると、ターミノロジーについては遅れをとっていると言わざるを得ない。

 隣接分野との関係はどうだろう。誰しもまず期待するのは言語学または文学からのアプローチだが、私の知る限りでは、文芸翻訳はともかく産業翻訳については積極的な動きはなさそうである。ターミノロジーの方は、専門用語研究会の機関誌に言語学方面からの意見を見ることもできるが、コンピュータ関係からの声に比べると少ない。また、各専門分野については、海外と頻繁に交流のあるすべての分野で、翻訳は念頭に入れられているだろうが、ターミノロジーについては偏りが見られるように思える。たとえば、専門用語研究会の機関誌に法律関係者からの声がないのは、残念である。

結び

 以上、翻訳とターミノロジーについての問題点を拾ってきたが、冒頭に述べたように、ここでは英語と日本語を中心とした、現在の問題に限った。たとえば、中国語との表記の異同や、明治以来の専門用語の翻訳の歴史など、興味深い問題は他にも多々あると思われる。そのため、ここで述べてきた問題は、翻訳とターミノロジーについてのすべてを網羅しているとは、到底言えないし、各々の問題についても用語の一例を挙げる程度で深く考察する能力も紙面もなかった。ただ、文字どおり何らかの問題提起となれば、幸いと考えている。

参考文献

  1. 沢田博「辞書の訳語を使わないということ」『翻訳の世界』1997年5月: 36-37
  2. 柴田武「専門用語としての和製英語」『専門用語研究』1996年 no.11: 11-14
  3. 松下巌「翻訳用用語集の作成と管理」『専門用語研究』1994年 no.7: 13-17
  4. 村木一至・亀井真一郎「機械翻訳用電子化言語情報の共有に向けて」『AAMT Journal』1997年3月: 1-3
  5. 養老孟司「人体用語を探す」『言語』1990年5月: 36-37
  6. 横井俊夫・末松博「EDR研究成果と今後の展開について」『AAMT Journal』1995年3月: 44-50
  7. Sager, J.C. "Translation and Terminology" ATA Chronicle, June 1995: 17-18
最終更新日: 2018-04-27 (金) 11:27:33

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